今春「半沢直樹2」でも主役の半沢直樹を演じる堺雅人さんは、早稲田大学在学中に演劇に没頭し、「早稲田のプリンス」と呼ばれるほど“モテモテ”だったとか。そこでこの記事では、堺雅人さんが「早稲田のプリンス」とよばれていた学生時代や、売れない時代の極貧生活のエピソードをご紹介します。
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堺雅人早稲田大学時代はプリンス?
今春の「半沢直樹2」に主演する堺雅人さん。
シリアスな役からコミカルな役まで巧みに演じ分ける、今や日本を代表する実力派俳優です。
【生年月日】1973年10月14日(46歳)
【出身地】 日本・宮崎県宮崎市
【身 長】172 cm
【血液型】 O型
【配偶者】菅野美穂(2013年 ~ )
【事務所】田辺エージェンシー
引用:Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/堺雅人
そんな堺雅人さんは、宮崎県立宮崎南高校時代に演劇部に所属、そこで演劇を始めたそうです。
高校生堺雅人から漂う文豪感… pic.twitter.com/aHoJPNwasz
— わがさきむい (@w61s_61) April 30, 2014
高校生のころから、あまり変わっていないように見えますね?
高校卒業後、第一志望の国立大学の受験に失敗したものの、早稲田大学に合格し、早稲田大学第一文学部に進学。
そこでも堺雅人さんは、高校時代でもしていた演劇を続けるために、早稲田大学の演劇研究会に入会しました。
その後、早稲田大学演劇研究会を母体とした劇団「東京オレンジ」の旗揚げにも参加します。
劇団「東京オレンジ」で活躍し始めた堺雅人さんは、そこで看板俳優として注目を集め、「早稲田のプリンス」と呼ばれるほどの人気を博したのです。
その人気はものすごく、特に女性ファンが多かったそうです。
「堺さん目当ての女性客が1000人以上集まった」、「堺雅人さんの出待ちに、劇場の周りに女性が行列を作った」など、当時の人気を物語るエピソードも聞かれます。
若い時の堺雅人は美しさとエモさと可愛さが混ざり合ってるから最高なんだよね………泣
『早稲田のプリンス』と呼ばれていた時の金髪の時とか美しすぎない…?? pic.twitter.com/uR8ZBA3oQH— シャーイン (@_re_00) November 14, 2017
確かに、若い頃の堺雅人さんを見ると、少年のような表情もあれば、今の眼光を彷彿とさせる鋭い顔つきもあり、女性に“モテモテ”だったのも頷けます。
堺雅人若い頃モテた理由は演劇で磨いた魅力?
#堺雅人はいいぞ
掘り起こしました✨コーマエンジェルのワークショップ、ドキュメンタリー番組。
「女は目で殺す!と言う堺雅人。劇団東京オレンジの看板俳優」と言うナレーション。 pic.twitter.com/uDzgrllR4l— cockrobin (@cockrobincarsjr) March 20, 2018
堺雅人さんが、「早稲田のプリンス」と呼ばれるほど人気を博したのは、時に少年のような表情を見せ、時に鋭い眼光のイケメン姿、と、変幻自在のルックスだけが理由ではありません。
それは劇団「東京オレンジ」で看板俳優となるだけの、演技力があったからこそなんです。
早稲田大学入学後、劇団「東京オレンジ」に所属した堺雅人さんは、演劇に集中するために、早稲田大学を3年生のときに大学を中退しています。
堺雅人さんは、以前、自身の決断について、以下のように話しています。
劇研に入る以上は半端な気持ちでやりたくないと思っていましたから、ゆくゆくは大学を中退することになり、親からの仕送りもなくなると確信していました。
経済的に孤立した状態で、細々とバイトで食いつなぎ、一生定収入が見込めないイヤ〜な大人になるんだろうな、と(笑)。
そこまでシミュレーションしながら、出家するような気持で入りました。
―引用:『文・堺雅人』
これだけの覚悟をもって、演劇を生業にしようとしていたんですね。
また、大学を中退してからの下積み時代には、空いた時間に演劇や文学の本、宗教や哲学に関する本などとにかく読んでいたそうです。
その覚悟と努力の賜物でしょう、堺雅人さんは、劇団「東京オレンジ」で演じている当時から、演技力も評価されていたのです。
昔の堺雅人が別人な件http://t.co/lIbTQGPcCa pic.twitter.com/vNShHaGjWg
— どMなキョン (@dom_kyon) September 27, 2013
当時からルックスと演技力、どちらも持ち合わせていた堺雅人さん。
今の堺雅人さんが、実力派俳優として大人気なのも頷けます。
堺雅人早稲田のプリンスから極貧生活へ!
早稲田大学の演劇研究会に所属し、「早稲田のプリンス」と呼ばれた堺雅人さんですが、早稲田大学を3年時に中退して演劇の道に専念したのは、前でご紹介しました。
が!実は、この決断はご両親に猛反対されたそうです。
このことを機に、ご両親からは勘当され、仕送りも途絶え、イッキに極貧生活に突入したそうです。
以前、堺さんご本人がテレビ番組で、「バイトしなくても食べられるようになったのは30ですね」と語っていたように、大学を中退してからデビューするまでの5~6年は、苦労続きの下積み生活だったそうです。
同じテレビ番組で、お金がない中「野菜を取らなくちゃ!」という脅迫観念にかられ、道端のタンポポを食べていたと告白したのは有名な話です。
高野寛さんみある若い頃の堺雅人も置いておく
(若いといっても20-30代だけど) pic.twitter.com/D3L4ic870j— こべに☄️労働と学業 (@kobeni) October 18, 2017
ちなみに、極貧生活をしていた堺さんは数々のアルバイトをしていたそうです。
ドーナツ屋さん、警備員、引っ越し屋、コンビニ、デッサンのヌードモデル!などなど。
ですが、バイトでも堺さんの強烈エピソードが!
堺さんは、とにかく数字が苦手だそうで、今でも台本に出てくる数字は、ひらがなに置き換えて覚えているそうなのですが、ドーナツ屋のアルバイトではこの数字が苦手なのが災いし、何度もお釣りを間違えてしまったそうです。
また、バイト先の雰囲気が楽しくて、毎日でも通いたいと思った堺さん、シフトじゃない日にも出勤し、タイムカードを押してしまい、その結果、クビになってしまったそうです。
警備員のアルバイトでは、あまり人が来ないことをいいことに、警備員なのに読書していたら、それがバレてクビになってしまったとか。
1998年に現在の事務所、田辺エージェンシーにスカウトされますが、2000年の朝の連続テレビ小説「オードリー」に出演するまでは、アルバイトを続けていたそうです。
今や実力派俳優として名高い堺雅人さんですが、こんな苦労話を聞くと、なんだか親近感がわきますね。
堺雅人早稲田のプリンスだけど極貧だったまとめ
今回は、堺雅人さんが『早稲田のプリンス』とよばれていた学生時代や、売れない時代の極貧生活のエピソードをご紹介しました。
早稲田大学の演劇研究会や、劇団「東京オレンジ」ですでに注目されながらも、30歳まではアルバイトをしていたと、役者としてはやや遅咲きの堺雅人さん。
「早稲田のプリンス」と呼ばれていた理由は、若い頃の様子を見れば納得でしたね。
しかし、その人気はルックスだけでなかったことは、当時の演劇雑誌の取材からも分かりました。
早稲田のプリンスと呼ばれた堺雅人さん、演劇に熱中する姿は確かに惹かれますね。
さらに極貧生活をしてまでも俳優になりたいという強い想いは今の彼の演技力にプラスになったのではないでしょうか。
半沢直樹ではどんな演技を見せてくれるのか楽しみです。






















